沖縄旅行(2)
学生時の仲良しメンツで伊是名島に行って参りました。

沖縄本島残留組の三人はちょくちょく会っていたし、私が三重に移住してからも遊びに来てくれたりしたので久々感はあまりなかったんだけど、一人は私が沖縄離れるのと同じ時期に離島に赴任したので7年ぶり、もう一人は卒業後すぐ関東に就職してそのまま結婚して会えなかったから10年ぶり。綿密に計画立てるより行き当たりばったりで勢いで決めた方が会えることって あるよね…^▽^^怪獣のような4歳男児と一緒に来てくれたよ!

写真撮るのも下手なんだけど見せ方もセンス無いと魅力半減よね…と思いつつとりあえずずらっと投げておく。
これが11月末ですよ南の楽園。











本当に海も空も昼も夜も全てが美しかったよ…















友人の計らいで素敵なお宿に泊まれた!




前日の豪雨が嘘のように晴れてて最高だった…(´;ω;`)
船は酔い止め飲んでも、みんながスヤスヤ寝こけてる間もリバースしまくったりで絶不調でございましたが久々の心の友たちに会えた喜びでホロリときたよ…本当に嬉しかった…!!

基本的には全然変わってないのがこれまた嬉しい。
そりゃあ学生時一緒に過ごした4年間の倍以上の時間も経って三十路になってそれぞれの環境も大いに変わってるんだけど、それでも今もこうして再会して笑い合うために頑張れる人たちを、学生時の私は賜ったんだなぁと思うととてつもなく幸せだね!本当に有り難い。

そして伊是名島は本当に良いとこだった…
その伊是名に赴任された友達は延長希望を繰り返してギリギリまで島暮らしをエンジョイしたいみたいで。
海も空も綺麗で島のみなさんもとても良い人たちで、でも私には整っていないネット環境とか誰がいつどこにいたとか島全体に筒抜けなプライバシー皆無な感じとかとかその辺りは耐えられそうにない…(´・ω・`)
でも普段自分を忙しくしたり頭を悩ませたりするものって大体がそういう便利なものなんだろーなと考えると、しばらく島暮らし続けると新しい価値観が生まれたり心身共に本当の意味で健康になりそうだなとも。うーん難しい。


潮流の関係で帰りの船はだいぶ揺れがマシだったから吐かずに済んだよ…酔うと眠れなくなるんだけど、遊び疲れの方が上回って寝ることが出来た…

本島についたらみんなで従姉のお菓子屋へ。最高に美味しいクッキー食べさせてやるよ…!って感じだったんだけど、従姉が親友Kを見て「しょっちゅう来てくれる子だね」って。そんなこと言ってなかったのに御用達にしてくれてたとか本当にくいことをするやつなんだよ…(´;ω;`)

そして4歳児を連れたHを実家に送り届けて、お昼ご飯の後空港まで送ってもらいました。
なんと5日間も沖縄にいたんだよ…前代未聞の長期滞在。移動とかで終始バタバタしてたけど家族にも旧友達にも会えて本当に嬉しい楽しいが盛り沢山だった。私は本当に沖縄が好きだ(´;ω;`)
みんな次はいつ会えるかなぁ…

帰る度に道路も街もどんどん変わっていくんだけど好きな人たちが全然変わらずに居てくれて、私が帰って行ってるのはどちらかと言うと場所ではなく人なんだろうなとずっと感じてるんだけどうまく言葉に表せられないよ…懐郷の念を抱くとき、空と海と風は勿論なんだけどそこに強く在るのは人なんだよなぁ。
人がいないとおかえりもいってらっしゃいもただいまも無いはずだし。
ふるさとを出ていく寂しさや悲しさこそが自分が恵まれている何よりの証拠だと思い知って幸せを噛みしめるんだって。
”Jubilee 歓びとは 誰かが去るかなしみを 胸に抱きながらあふれた 一粒の雫なんだろう”
この曲を離郷してから一層強く噛みしめるようになったけど、くるりは本当に偉大だなぁ。そして私のふるさとであり続けてくれる人たちが有り難い。
いつも同じようなこと言ってて本当言葉が陳腐なんだよ…この愛と感謝を音楽にすることが出来ればどれだけ自分を好きになれたか…!!(ハンカチギリギリ)
カテゴリ:旅とか | 23:46 | - | -
沖縄旅行(1)
久しぶりの沖縄旅行だよ。帰省ではなく沖縄旅行は2015年になるりんととまてぃと夏にして以来だよ…!

友人の結婚式に招待されてのことだったんだけど、これを学生時代の親友らに話すとあれよあれよと同窓会計画が立ち上がりまして。
2人は本土、2人は沖縄本島、1人は離島とバラバラになっていた仲良し5人グループで、卒業以来初めての全員集合なのよ…(´;ω;`)

しかし決算の処理でかつてないほどゴタついていた私は旅程が月末=税金の支払い期限だったこともあり、旅行中トラブルがあると会社が終了という責任がかかっていたため何度も諦めて結婚式だけ一泊二日で帰ることにしようかとか悩みながら、とりあえずトラブル発生の連絡が来たときに即帰れるよう飛行機を連日抑えて、帳簿を全部持って帰沖という惨状でした\(^o^)/
いやこれ仕事が大変じゃないんです、私が仕事出来ないのが問題なんです。あとこのタイミングで降り掛かってきた歯のトラブルな。
あちこちに本当に迷惑かけました…ポンコツですみません…(´;ω;`)気持ち的には土下座しすぎて額がなくなりそうな勢いだよ…

空港まで妹に迎えに来てもらって、ママンと兄一家と合流して夕ご飯、ご飯食べた後はみんなでサーティワンでアイス食べるのが恒例の我が家(笑)んでその日は実家に泊まり、翌日は妹とカイロ行って、そして人生初のまつ毛パーマへ。
まつ毛がとにかく少なくて短い!ってことでマツエクってどうなの〜と螺旋界の美容部員、そるてぃに相談するとマツエクは色々と丁寧な人間じゃないと向いてないという話を聞いて、まつげパーマはどうよ!とおすすめしていただきまして。
ふるさとのあれこれ調べて良さげなサロンに行ってきました。
本土にいるときは断然沖縄弁なんだけど、それでも何年も離れてると沖縄訛りもおかしくなっておりまして。結局は何県に行っても観光客扱いされる私。どこでもアウェーさ…
んでまつ毛、私はやはり量も少なめで長さも短めなんだと…(´・ω・`)思ったよりくるんってしなかった…妹は横から見てすぐまつ毛くるんってなってたよ〜〜羨ましい…_(:3」∠)_

そして恒例の如くカラオケ行ってから妹の新居に一晩お世話になりました。
今春新築のアパートだけあってめちゃくちゃ綺麗でじょーとーだった…!!洗濯乾燥機ついてるとかさぁ…!
日頃から整理整頓や掃除をちゃんと出来る妹だから余計に家の価値を最大限使うことが出来るんだろうけどね(遠い目)
もっとカラオケとかドライブとか買い物とかしたかったのに!とにかく時間が!無い!!\(^o^)/
気になってたテラフォーマーズを1巻試し読みさせてもらって、精神が不穏になった状態で眠りにつきました。笑

翌日は妹が出勤のため私は車を借りて、買い物行って(アクセサリー類ごそっと忘れてきて急遽買いに行った…)美容室行って結婚式へ。

その結婚した友人はオタ友なんだけど、ネットが普及していない時代にイベントで私のペーパー見てお手紙くれたことがきっかけで出会い(笑)かれこれ15年以上の付き合い?一番手紙を多く交わした子で、初めて一緒にくじらを見に行った子で、バンド仲間で、私にスパイラルを教えてくれたとても大切なお友達です。
でも学校が一緒だったこと無いから共通の友達が全然いなくてさぁ!笑
でも3Pバンドでもう一人がいてくれたことと、イベント常連だったらしいお嬢さんらが私を見て「あ、しーなさんだ」と声をかけてくれたこともあって(ふるえ)、ぼっちにならずラウンジで一緒にケーキ食べて盛り上がったよ…笑

大事な人の結婚式って、ほんと良いものだね…(´;ω;`)その人がどれだけ大切にされてきたかがとても伝わってきて、幸せと祝福しか無い空間になる…
私は学校や職場での彼女を知らないから、というか文通みたいな1対1とかバンドみたいな2対1でしか知らないからそういった他の環境で色んな人に愛されてるのを見るととても心が温かくなりました。大事な人がただいまを言える場所が多く在って欲しい。

未熟な10代、でもある程度の自由や自意識や能力が身についてる学生期、でもやっぱりどうしようもなく未熟な10代っていう、思い出しただけで顔覆いたくなるような、絞め殺されそうなほど苦しくなる18〜19歳を一番そばで寄り添ってくれた彼女。分類的にはオタ友なんだけどもそれでも式に呼んでもらえて、人生の門出を祝わせてもらえて本当に嬉しかったです。
しかしオタ友だし…とか言っても新郎新婦は私なんか目じゃないくらいガチオタで、職場婚の二人なんだけど業界柄会社のみなさんもみんなオタクでね(笑)BGMは全部アニソンだしとても「らしさ」が出てた披露宴だった…^^^

夜から既に予定が立っててかなり慌ただしく、二次会のお誘いも断ってしまったので数年ぶりだったのにゆっくり話すことが出来なかった…(´;ω;`)申し訳ない…


そして速攻で妹のアパートに戻り、着替えだけして荷物は「後で送ってくれ!」状態で出発orz
美容室で綺麗にしてもらった髪の毛はね、ピンとか沢山あって自分では外せなかったからそのまま出たよ…
翌日は学生メンバーと離島行きで、船が早かったこともあって近くのホテルに前乗りするためその日で合流でございました。

なんか思ったより長くなったから分ける!
カテゴリ:旅とか | 22:54 | - | -
ハワイリベンジ
仕事やら私事やら色々めちゃくちゃ散らかりまくってたけど、無事にハワイリベンジ果たしてきたよ。気持ち的にはこれがマイファーストタイムハワイです。ちゃんと常夏の島だった…!!
前回の惨状→はじめてのアロハ


税関の長蛇の列も並んだよ。自分の脚で歩いたよ。観光らしい観光はしなかったけど(初のハワイだから無理せず雰囲気だけ楽しもうと決めていた)
正直海はふるさとの方がキレイだからさ……^^^買い物も特に興味無いからのんびりバスで市街一周したりお散歩したりアラモアナぶらぶらしたり、後は「おなかすいた」って思う隙がないほどひたすら食べていた。
でもデイリークイーンに行けなかったのが心残り…!!!!ソフトクリーム屋さんで、幼少時までふるさとにあったんだよ〜凄い懐かしい……次こそは行きたい。
次はダイヤモンドヘッド登ったりイルカと泳ぐアクティビティとかもチャレンジしてみたい。貯金がんばろう……


スコール多いのかな?バス周遊中、さっと降って止んだと思ったら虹が出てた。
横に座ってたカナダ人のおっちゃんが色々話してくれたんだけど本当地球語って必要だね……




ハワイの出雲大社










写真が全然良いの無い\(^o^)/
ほんとひたすら食べてました。アラモアナの手作りクッキー美味しかった…念願だったウルフギャングのステーキも最高だった…
アラモアナの地下?が日本食フロアになってて一日目に行ったよ。たむけんの焼肉弁当屋さんがあったw
外国人の方も殺到してて、みんなお箸使って食べてるし日本食が人気ってほんとなんだなぁと。
あとはもう少し物価どうにかなりませんかね……;;;;
カテゴリ:旅とか | 20:02 | - | -
夜汽車は行く星屑の中汽笛を鳴らして
とても!長いです!!
これうpするのは2018年7月。この一年半ほど自分の中で時計が止まってたんだけど、それを動かしていくためにこんなことがあって、こんなことを考えていたんだよねずっと!というもよもよを書き散らかします。

もう二年近く前の話なので、どっちかというと旅記を眺めるような感じで、それでもそれはあなたの知っているしーなみなみの旅記だという認識でお付き合いいただけるととても嬉しいです。


***



私が沖縄を出て三重に来たのが6年前。(これ書いてるのは2018年の6月だけど) 2011年の8月のこと。
初めて自分のふるさとを離れて一人暮らしをして、当然私は周りの誰も知らないし、周りの誰も私を知らない。
志があって、それと同じくらい逃げたい問題もあって、用意していた挑む気持ちと逃避の気持ちをがばっと覆い尽くすような、ひたすら初めて尽くしの感情と環境と発見と発覚と。寂しさと清々しさもないまぜになった、自由すぎる怒涛の日々を謳歌しながら2ヶ月ほど経ったとき。働いていた工場で、3つ下の同郷の女の子(名前関係無くAとします)と出会った。

同じ派遣会社で、トイレで遭遇して衣替えについて訊かれただけなんだけど。
ものの数秒で「なんか赤の他人とは思えないね!」と意気投合。その日の帰りには一緒にご飯食べに行って、本当に初めて会ったとは思えないほどの打ち解けっぷり。そして私の三重生活はガラリと変わった。
隣の課だったし昼夜勤が合わなかったりもしたけど、しょっちゅうお昼を一緒に食べて、買い物に行ったりお伊勢参りに行ったり大阪まで行ったり。私は一人で独りぼっちを存分に楽しんでたけど、やっぱり友達の存在って本当に有り難くてね…
何より明朗で楽しいAは妹のようで、ずっと長い付き合いの知己のようで、驚くほど色んなことを打ち明けあえる子だったし。Aと縁ができただけでも、三重に来て良かったと思えるほどだった。

んで、お互い半年の契約でここに来ていて、私は3月、Aも4月には沖縄に帰るつもりで。
三重での暮らしについて、「銀河鉄道の夜みたいだね」って話してたんですよ。
田んぼに囲まれた田舎で、明かりのない田んぼ道を夜に電車が走っていく感じがね、ガタタン・ガタタン…って音とか細いライトだけが前を照らしてるのとか、車窓のからの整然とした明かりが田んぼの水面に映ってる様子とかも。ほんっと今でも見惚れるくらい銀河鉄道なの…語彙が足りぬ!(水面云々は千と千尋かな)
んでお互い沖縄では会ったことがないのに、ここで仲良く遊んだり語らったりしているのがね、本土という気候も環境も何もかもが違う、期限つきの、夢の中の世界のようだと。
二人で夢の中で出会って、電車でどこまでも行く世界で、大阪みたいな都会だったり雪の降る場所だったり、桜が舞い散る場所だったり、沖縄にはありえない場所を冒険していて、沖縄にずっといたら考えることのなかった諸々に出会って。そうやって夢から覚めたとき、ここで過ごした半年をどんな想いで振り返るんだろうねって。そんなことを話していたのよ。
まぁ完全に陶酔だけど(笑)それくらい意気投合出来る同郷の人と、よりによって本土で出会えただけでも、物凄い偶然よね。

そして結局私はその銀河鉄道をちょっと延長することを選んで(永住する気はこのときは全然無かった)、Aは契約通り4月にふるさとに帰って行きました。
それからも沖縄の現況聞いたり、三重での諸々振り返ってメールしたり手紙書いたり、やりとりは続いて。
んで驚いたのが私が帰郷して一緒にご飯食べたとき、Aから聞かされた「実は親戚でした」っていう衝撃の事実ね。昔離婚した祖父が再婚した先での孫がAだそうで。
妹のようで知己のようで、とにかく他人とは思えない、初めて会った気がしないと思ってたらなんと親戚って。
こんなことがあるのかと。世界の狭さに驚くやら嬉しいやら。
とにかく生来人との縁に私は恵まれてると思ってたんだけど、改めて噛み締めて、それに感謝しました。

それから私は当時彼氏だった現夫と紆余曲折ありながらも結婚まで話が進み、そこまでの経緯もAに色々愚痴ったり励ましてもらってたんだけど、結婚が決まったときもとても祝福してくれて。(余談ながら夫(三重県民)も偶然私と同じ沖縄の大学出身でね。本当に世界は狭いというかなんというか…)
そして、結婚のお祝いにとAから手作りのくじら柄バッグをいただいたのが2014年の夏。それを最後に、連絡がつかないようになってしまった。
メールの返事とかは私同様まめな方ではないとしても、手紙とかは宛先不明とかで戻って来たりはしないけど受け取ってくれてるかも不明。
そしてついにラインも消え、メールも電話番号も使えなくなっちゃって。
大丈夫かなと心配しつつも出来ることは無いし、とりあえず年賀状や暑中見舞い等は出し続けていた。また会いたい一心で。会えなくても、元気でいて欲しい願いをこめて。

そして2016年の12月、年賀状用意しないとなと思っていたとき、Aのお母様から手紙が届いた。
今まで貰ったことような綺麗な字の、本当に丁寧な文章で、Aが昨年の6月に急死していたということが書かれていました。

いつも過ごした日々を銀河鉄道の夜になぞらえるとき、さながら私はジョバンニ、Aはカムパネルラだねって話していたんですよ。
こんなことってあるのかと。
急死という書き方でその時は詳しいことは何も分からなかったんだけど、ひとまずこれからはどうあってもAに会うことは出来ないんだというどうしようもない事実だけがぐっさりと突き刺さりまして。

私の中には、親は勿論自分より…というか世間一般でいう年配の方以外で、自分より先に行かれるっていう感覚が無かったことに気付かされた。
順番的に自分の方が先だとかそういうことではなくて、なんと言いますか「良好な関係を築いてさえいれば、繋がりが向こうから断たれることはない」と思ってたというか。
『出会いも別れも同じ縁の中にある。良き出会い、良き別れ、それが良き一期一会』っていう柱が私の中には昔からずっとあったはずなのに、この当たり前の原始的な別れがなぜか組み込まれてなかったなぁと。
またね、と言って別れて、また会えるということがどれだけ当たり前ではなくて、有難いことなのか。

以前から、他の友人・知人関係でも携帯も通じなくなったら普通に縁を切られたと思うだろwとか言われることが結構あったんですが。
ポジティブ思考というわけではないんだけど、一度縁が繋がった人に切られたという発想にあんまり結びつかない自分がいて。
Aと連絡がつかなくなってから1年半くらいの間、私が構わずにお便りを送り続けていた間、Aのお母様にはとてもつらい思いをさせてしまっただろうなと思うんだけど。
でも送り続けていたからこそ、私はAとの縁に向き合って思い出に片をつける機会をもらえたのかもしれないよなぁと。知らない方が悲しまずに済んだのかもしれないんだけど。
ネット上にも大事な人が沢山いる私は、以前から自分が死んだらどうなる・どうするんだろうってずっと考えてたんだけど答えはまだ出てなかったりする。
音信不通のままの方が良いのか。終わりを明確にした方が良いのか。そうすることやしないことにどれだけの価値があるのか。

明日死んでも良い生き方をしてるか?って言葉があるけど。
昔からこれに対する私の答えはあまり変わらずで、「自分が明日死んでも後悔は残らない(死にたくないけど死んだら後悔も残らないから)。でも、家族や友達、大事な人が明日死んでも良いようには私は生きてない」って。
昔からこの考えを持ってたはずだけど、ここまで突き刺されるのは初めてで、なんというかこの考えを持っているからこそ?食らってしまった。
本当にただの我儘や独りよがりでしかないんだろうけど。みんなに、また会えると思ってるんだよ。また会いたいって、思ってるんです。生きて元気で笑ってて欲しい。一番はそれだから、元気でいてさえくれるなら、二度と会えないくらい何でもない。
でも会えないと、連絡つかないと、生きてるのかどうしてるのかもわからない。その意味で私は当然ながら自分の人生しか生きられないんですが。それでも誰々に会いたいとか、元気でいて欲しいと思う気持ちはその相手からいただいたもので。それが原動力になっていることを考えるとやっぱり私は自分だけを生きてるとはどうも思えない。
だから周りの人を大事にしようと思う。自分が親しいと認識している人じゃなくてもいつかどこかで繋がって行く人はいるものね…Aが正にそうだし。一見無関係でも嫌いでも、大事な人の大事な人かもしれない。どこで誰に繋がっていくか全くわからない、恐ろしいことに。
そして何より怖いのは突然それを理不尽に奪われることがあるってことで。それを失ったことにすら気付かない、或いは既にそうなってることに気付いていない可能性だってある。
かといって私に出来ることは変わらずに大事な人たちの未来を祈ることしかないんだけど。
何を代わってやれるでもない、あげられるものも無いし、その人に一番適した言動とかっていうのもわからない。ただただその人の存在を有難がっているだけの私はエゴの塊なんだろうなと思うんだけど。
それでも大事な人が生きて元気でいてくれるのは私にとって本当に有り難くて、意味があって、その人本人にとってもそうであって欲しいと考えているんです。

生きていながらも自分に価値を感じていない人や、ついつい忘れてしまう人はいるけど。
私が出来ることは定期的というと変だけど、忘れずに名前を呼んで「元気?」って声かけるだけなんだけど、それを続けるしかないんだけど。そうしてる内に相手がついうっかりにでも自分のことをもしかして価値や意味がある存在なのでは…?とか 思う必要も無いけど、自分に価値は無いと考えることを忘れる時間が一瞬ずつでも増えていけば良いなとか。思うんです。日本語難しい!
ずーーーーっとそう思ってきたつもりだったんだけどね。油断、ではないけど。なんていうかあまりにもの不意打ちで折り合いが難しかった。
今回私が失ったものの要因に私は無かった。勝手な言い分かもしれないけど、かつてないほどの理不尽を感じた。為す術がないんだから。


***


以上が2016年12月のこと。
以下後半は畳みます。2017年1月、たまたま帰省する予定が決まってて。良い機会だとAのお母様に連絡をとり、会いに行ってきました。
ここまでできつかったり気持ち悪いなって思った人はスルーしてください。
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贈り合おう「時間」という究極のGIFTを
土日でおかーさんと妹が来て、夫と四人で遊んでまいりました。
新居に招待出来て良かった!ママン庭掃除してくれるし(*´▽`*)定期的に来て欲しい。いやいっそ毎日来て布団干して洗濯してご飯作って欲しい。

奈良と伊勢行ってきたぞー!年末に厄払い。
今年は前厄だけあって、特に下半期色々ありすぎたからな…
ヘルペスが良くなってから急に元気を取り戻した腰痛もなんとか抑え、奈良は東大寺から春日大社まで行ったよ!今まで全然どこにも行ったことない母親をあちこち連れていけるのがとても嬉しい…
妹もそうなんだけど、向こうはもう私以上に翼生えてるから(笑)それがまた嬉しいんだけど。

寒いんだけど旅行モードだとあんまり寒く感じないから不思議よね〜。

最近胃腸の調子がおかしくてあまりご飯が食べられなかったのが残念だったけど(´・ω・`)
奈良も伊勢も楽しかったー!観光客で混みすぎだー!

もっと写真を撮りまくる習慣をつけたい。

デジタルでタダなんだから要らなかったら捨てりゃいいんだし、バシャバシャ撮った方が後々楽しいのは分かっているのに…
なんかシャッターを押すハードルが高いというかなんというか…

みんなが元気な内にもっとあちこち連れて行って内地の色んなもの見て欲しいな〜><
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